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大阪高等裁判所 昭和40年(ラ)54号 決定

抗告人 日本国内航空株式会社

相手方 仲野和孝 外五名

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

一、本件抗告の趣旨ならびに理由は、別紙記載のとおりである。

二、当裁判所の判断

抗告人は、その合併前の会社たる日東航空株式会社と旅客たる亡仲野孝之助間に右会社の運送約款を内容とする契約が成立し同約款第一〇条には「この約款に関して生ずる一切の訴訟は会社の本社所在地の裁判所の管轄とします」という規定があるので、両者間にその旨専属的管轄の合意がなされたと主張し、抗告人提出の疎明文書によれば、日東航空株式会社には昭和三五年六月七日以降航空法一二二条、一〇六条により運輸大臣の認可を経た抗告人主張の如き内容の運送約款が存在し、同約款が大阪空港内日東航空待合所塔乗受付(乗客がゲートパスを受取る場所)のカウンターに冊子として紐をつけて吊り下げて置かれてあつたことまではこれを認めることができる。

思うに通常の私法上の取引に関する契約においては、当事者が契約締結に際して用いた明示・黙示の表示手段ばかりでなく、かような表示手段が用いられていなくても信義則・事実たる慣習・任意規定・慣習法等によつて、契約内容が補充されるのであり、本件で主張されている運送約款のようないわゆる普通契約約款についても、当事者が右約款にしたがうべき旨明示・黙示の意思を表示していなくても、特約によつてこれを排除しない限り、普通契約約款にしたがつた契約が成立したものと解するのが相当である。しかしながら、これと異なり、民事訴訟の管轄に関する合意は、たとい前記私法上の取引契約と同時に締結されようとも、その要件・効果は民事訴訟法二五条によつて規律され、殊に合意の成立に関し、それが書面によつて明らかにされなければならないとしているのである。それを分説すれば(イ)管轄に関する合意は、合致した意思表示において明示にせよ黙示にせよ現実に表示されることが必要である。換言すれば、例えば慣習や任意規定のように当事者がそれにしたがう意思を表示しなくても、おのずから法律行為の内容を補充するというようなものであつてはならないことを意味する。(ロ)管轄に関する合意の内容が書面に記載されることが必要である。(ハ)管轄に関する合意はその内容のみならず締結されたこと自体が書面に記載されることも必要である。

右にのべたところを本件についてみると、先ず右(イ)の要件について、抗告人はいわゆる普通契約約款が当事者の契約に対しいわゆる規範的な作用を営むことを詳論するばかりであつて、明示・黙示の手段によつて現実にかゝる意思表示の合致があつた旨の具体的な事実の主張を欠くのみならず、冒頭認定の場所に、認定の運送約款冊子を常置しただけでは、具体的に亡仲野孝之助に対する会社側の契約の申込みとしてその意思表示が同人に到達したと推認することは困難であり、即断のそしりを免れることができない。又申込に対する承諾の点についても亡仲野孝之助が右約款を承諾する旨の明示・黙示の意思表示をしたとの事実を認定すべき何らの資料もない。次に右(ロ)の要件は別としても(ハ)の要件については、これ亦これを認定すべき何ものも存しない。

以上のようなわけであるから、本件において日東航空株式会社と亡仲野孝之助間に訴訟法上有効な管轄の合意が成立したとみることはできないから、これが有効に成立したことを前提とする抗告人の移送の申立ては、その他の点について判断するまでもなく理由がない。よつて、右申立てを却下した原決定はまことに相当であり、民事訴訟法四一四条、三八四条、九五条、八九条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 岩口守夫 長瀬清澄 安井章)

別紙

抗告の趣旨

原決定はこれを取消す。

本件を東京地方裁判所に移送する。

抗告の理由

一、管轄の合意に関する民訴法二五条の規定が書面によつてする合意を要求するのは、当事者の意思内容を明確に残す趣旨に出たものであるから、申込と承諾とが時を異にしてなされても差支えなく、又申込の当時、その相手方が特定され得るものであれば、現に特定していることも必要でない。(兼子・条解民事訴訟法上巻六六頁)

要するに、当事者の合意が書面によつて明らかにされゝば、それ以上如何なる形式の書面でなされねばならぬか、同一書面上で為されねばならぬか等、合意の方式については何ら特別の規定もないし、従つて又これに制限を付してはいないのである。従つて、その合意は一般的な申込に対する個別的になされる明示の承諾によつて成立するは勿論であるが、更に黙示の承諾によつても成立することは疑ない。

ところで、一般に運送約款等の普通取引約款は一般にその条款を使用する企業者との定型的取引については、その内容に従つて契約を締結することを前提として作成使用せられているものであり、その約款が契約の締結に当り、取引の相手方に容易に知り得べき状態におかれ、且つ相手方がそれによらないことの意思を積極的に明かにしなかつた場合にはそれによつて契約が締結されたものとして画一的に処理すべく予定されているものである。(石井照久・普通契約条款三四頁)

この事は、運送約款について裁判所もすでに認めたところである。即ち京都地方裁判所は運送約款の効力について、運送手段を利用する者の約款内容に対する承諾を推定すべきものとして次の通り判示している。

「運送約款は…運送事業者において、運送契約の内容とするため、予め、これを定めて行政官庁の認可をうけ、運送契約をなすに当り、当事者がこれを除外する特約をなさない限りは、その契約の内容となすべき約款であつて、世上一般の実情によれば、…運送手段を利用する者は多くは運送約款の条項を詳知しないに拘らず、尚これに依る意思を以て運送手段を利用するに至るを通例とするから、運送を委託するものは特に運送約款を除外する特約を為さない限り、これに因る意思をもつて、契約するものと推定すべきであり、(右特約ない限り)原告は右運送約款に拘束されるものとは云はねばならない。」(下民集六巻一一号二四五七頁)

ところで、本件における運送約款も航空法第一二二条第一項、第一〇六条の定むるところに従い、運輸大臣の認可をうけ(疏第一号証)切符発売所のカウンターに常置して、一般の閲覧に供せられ、何人も抗告会社の飛行機の乗客たらむとするものは、容易にこれを見、その内容を知悉し得るようにされていたものである。(疏第二号証)

即ち、亡仲野は運送契約を締結するに当り、特に運送約款の内容を除外する特別の意思表示をしていなかつたから、右約款を少くとも黙示的に承諾し、その内容を契約内容とする意思を以つて、契約をなしたものと認めるべきである。(飛行機、船、電車、その他輸送機関が運送約款に従つて乗客と画一的に契約をしていることは、今日、何人も知悉しておるのが通常であり、仮にそれをみなかつたとしても、これを除外して契約することの特別の意思表示をしないで、運送機関を利用すること自体、約款に従つた契約をする意思を有したこと、即ち、約款内容に同意したことに外ならないと認むべきである。)

而して、右運送約款は第一〇条において、「この約款に関して生ずる一切の訴訟は会社の本社所在地の裁判所の管轄とします。」と規定し、本件訴訟が同約款第六条の定める旅客に対する賠償責任に関する訴訟であることは明かであるから、本約款が本件訴訟に関する管轄の合意を定めていることも又明かである。即ち、抗告人及び、亡仲野の間には約款という書面による本件訴訟に関する管轄の合意が存したのである。

従つて、大阪地方裁判所がなした、「亡仲野が書面により、本件訴訟の管轄裁判所を申立人の本社所在地の裁判所とする旨の意思をしたことを認められない。」とする判断は明かに、事実に反し不当である。

二、第二に同裁判所は、「仮に管轄の合意が有効になされたとしても、右約款の文言自体からして、右合意は他の競合する法定の管轄を排除して、申立人主張の裁判所に専属的に管轄を設定したものとは認められない。」と判示している。

然し、管轄の合意が専属的か付加的かその何れであるかが、明示されていない場合には合意の解釈として、法定の競合するいくつかの管轄裁判所の中から、特にその一を撰んで特定している合意は専属的と解すべきことは、一般に認められているところである。(兼子・民訴法条解上六五頁)

本件の管轄の合意は被告となる抗告人会社の本社所在地を撰択している。(尤も、文言上は航空会社が原告となる場合も含むが、実際問題として訴訟が提起されるのは航空会社に対する損害賠償請求が殆んどであり、本件の場含もそうである。)即ち、被告の住所地、不法行為地等の法定管轄の中から、特にその一つを撰択、特定している場合であつて、当然専属的管轄を設定したものと認められねばならぬ。(而もこの撰定は民訴法一条、四条のいわば管轄決定の原則にそつたものであつて、決して航空会社の一方的利益のための恣意的な撰定ではない。)

けだし、契約を解釈し、当事者の合意の内容を探求するに当つては合意の目的を考慮し、社会通念に従い、合理的な判断によつて、当事者の意思を発見すべきであるが、仮に右判示の如く、法定管轄裁判所を特定している場合まで、これを付加的合意管轄とすることは、当事者が全く意味のない合意を為したことに帰するが、少くとも一方が商人たる商行為において、当事者が何らの意味をもたぬ合意をなすとは到底考えられず、かゝる解釈の誤りであることは明瞭である。

三、次に同裁判所は、「相手方ら(原告ら)は亡仲野孝之助の権利承継分と相手方ら固有の権利とを併せて請求しており、相手方らは運送約款の当事者ではないから、その固有の権利分については移送理由がない。」旨、判示している。

併し乍ら、

イ 右運送約款一〇条の定めは、運送に関連して生ずる訴訟一切に関する専属的管轄を定めているものであつて、運送約款の当事者たる乗客を拘束するのは勿論のこと、同時に本約款をもつて乗客は自己のなす当該運送契約に関連して、近親者に生ずることあるべき権利についても、その権利の行使について、約款の定めの条件に従う旨を第三者の代理人として合意しているものである。

仏国、セーヌ民事裁判所第四部は、乗客の死亡事故に関する事件において、死亡した乗客の父母が、乗客たる被害者を規制する諸原則に拘りなく、独立にその固有の権利にもとずく請求をなすとの主張に対して、同裁判所は次の如き理由を以つて、その主張をしりぞけている。

「一般に、もし判例が被害者の近親に対し、その相続人たる資格とは無関係な自己固有の権利に基く、従つて被害者の権利に由来しない訴権を否定していないとしても、相続人が賠償を請求している損害は、相続人と有責者との間に被害者が介在しなかつたならば生じえなかつたものであり、それ故に、この損害は多かれ少かれ間接的であることは明かである。もし相続人が被害者のそれと目的を異にする訴権を有しているとしても、その訴権の行使に当つては直接の被害者自身を規制する諸原則と同一の諸原則に従わねばならない。」(右裁判所、一九五四年一月一二日判決、デルビイ・モンバール夫妻他対エール・フランス。)

更に又、直接国内航空運送には適用ないが、その法的規制において重要な参考となすべき一九五五年ワルソー条約(国際航空運送についてのある規則の統一に関する条約――日本批准昭和二八・八・一八発効)も、第二十四条において、第十七条に定める場合、即ち旅客の死亡負傷に対する運送人の責任に関する訴は、その名義のいかんを問わず、(即ち、近親者から権利承継分としてなされようと固有の権利としてなされようと)この条約で定める条件及び制限の下にのみ提起することができる旨、規定している。

以上からみても、運送約款一〇条に定める合意は近親者からの固有の請求をも拘束する合意とみなさるべきであり、而もかゝる合意が航空運送契約関係において、決して不当なものでないことが明かであると考える。

ロ 仮に百歩をゆずり、右固有の請求分については、約款の合意の効力が及ばないとすれば、抗告人らは、その権利承継分について、専属管轄違反に基く、管轄違を理由とする移送の申立をなすものである。そうすれば、固有の請求分については、大阪地方裁判所に管轄が生ずることとなるが、かゝる訴訟において、例え理論上別個の請求とは云うても、それらは同一の原因事実より発生する請求であつて、損害額は相互に深い関係を存じ、別個の裁判所で判断することは適当でなく、又過失の認定等については、複数の裁判所で審理することは全く重複した不必要なことであり、訴訟の遅滞を招くのみである。

結局、これら承継分の訴訟と固有分の訴訟は何れか一の裁判所で審理するのが妥当と云うことになる。さすれば、一について専属管轄を有する裁判所が他の請求をも併せて審理するのが適当、且つ当然と思われるので固有の請求分については、民訴法第三十一条にもとづき、移送の申立をするものである。

以上、何れの点からするも同裁判所の判断は不当であり、不服であるから、民事訴訟法第三十三条及び第四一〇条以下により、こゝに抗告をなす次第である。

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